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ミュージック

キヨシロー青山ロックンロールショー 忌野清志郎さんにお別れしに行ってきました

昨晩、青山葬儀所に忌野清志郎さんの葬儀の献花に行ってきました。
会の正式な名称は、青山ロックンロールショーなのです!

半蔵門線で、青山一丁目駅を降り、列に並び始めたのがだいたい8時。

葬儀の献花まで、並ぶ列はその時間でも、外苑西通りを南青山三丁目交差点方面に向かいをいったん青山四丁目まで行き、そしてそこから引き返して来るという、青山葬儀所に行くだけでもかなり歩く事になりました。


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そして青山葬儀場に入ることが出来たのがちょうど9時頃。。。

清志郎さんがデザインした、ウサギの巨大バルーンが飾られていました。
葬儀というより、イベントのような雰囲気も・・・

そして、献花会場に入ることが出来たのが、10時頃でした。

献花が終わり、清志郎さんとお別れです・・・・悲しかった・・・・

献花場を出ると未だに帰ることが出来ないファンにまみれ私も余韻を噛み締めていました。
会場には忌野清志郎さんの名曲が流れていたのですが、未だ発表されていない、清志郎さんが病に冒されながらもレコーディングしていた、Oh ! RADIO が流れ始めました・・・

名残惜しかったのですが、Oh ! RADIOが帰るきっかけを与えてくれました。

ありがとう清志郎さん・・・
これまで本当にありがとうございました。

そして、朝から深夜までこの素晴らしい式を運営し、更に、深夜まで弔問時間を引き延ばしてまでファンのメッセージに答えてくださったスタッフの方、ファンクラブの方、何時間もずっと誘導していただいていたアナウンスの方、警備の方、その他運営サイドの方皆様、そして、ファンの方々本当にご苦労様でした。

これが葬儀でいただいた、祭壇にも飾ってあった清志郎さんの写真です。

ということで、この日の写真のスライドショー

関連ニュース:

何と、4万3千人のファンが献花に訪れたそうです。。。。

東京・南青山の青山葬儀所で9日営まれた忌野清志郎さん(2日死去)の葬儀式の参列者は、午後10時半の時点で4万3000人に達した。

会場前の行列はまだ続いている。弔問の受付は終電の時間まで続ける予定で、参列者はさらに増えるものとみられる

葬儀が始まる2時間前の午前10時には、会場をぐるりと取り囲むように喪服姿や普段着姿のファンの行列ができた。

2日にがん性リンパ管症のため58歳で死去したロック歌手、忌野清志郎さんの本葬となる「葬儀式」が9日、東京・南青山の青山葬儀所で開かれた。葬儀には竹中直人さん、大竹しのぶさんら、ゆかりの音楽関係者や一般のファンらが参列。

 「今日は素晴らしい1日になるでしょう。最後までお見送りください」

最初に弔辞を読んだ俳優の竹中直人さんは「忌野清志郎さんが死んだなんて絶対に受け入れることはできません。でも本当なんですよね。みんな清志郎さんが大好きです。僕は忌野清志郎と友達なんだぜって自慢したいです」と語った。

深紅のカーテンをバックにした祭壇は、赤や黄色のバラで埋め尽くされ、中央にはスーツ姿の遺影。紙吹雪の中、バンド演奏が行われるなど、ロックスターらしい異例の葬儀となった。

この日の行列の長さは午後2時半ごろがピークで、葬儀所を取りまいた上に地下鉄乃木坂駅周辺に達し、最長約8キロに及んだという。

清志郎さんへ。

 僕は今日、弔辞をお願いされて、ものすごいプレッシャーです。だから清志郎さんにもらった指輪をしてきました。

 お通夜の日、清志郎さんの寝顔を見たけど、別人じゃないかって思ってしまいました。でも、とてもきれいな顔でした。とってもきれいな手でした。僕ね、清志郎さん、僕たちはまだ、信じられない思いでいっぱいです。

 紅白の幕と色鮮やかな花で飾られた祭壇には、スーツ姿で優しくほほ笑む清志郎さんの遺影が掲げられた

時々空の上から「愛してあってるかい」って問いかけてください。「OK、BABY、最高だぜ」って答えられるように、あなたのように強く優しく、明るく楽しく生きていきます。

葬儀場前の広場には、清志郎さん自身がデザインしてコンサートで使っていたという長さ12メートルのバルーン「一旗(ひとはた)人形」や、ファンから贈られた千羽鶴などが飾られた。

がん性リンパ管症のため、2日に死去した”ロックの神様”忌野清志郎さんの追悼番組がテレビ、ラジオ各局で放送される。